12月22日、信國乾一郎さんが他界された。44歳だった。
僕は、その闘病も知る事なく、いきなり訃報を聞く事になった。今、言い様の無い喪失感に苛まれている。
発病からのこの1年、僕が会って話をしたところで、病状をなんとか出来た訳ではもちろんない。ただ、僕のエゴで、これが最後かもしれないという気持ちで、信國さんと言葉を交わしたかったのだ。
設立2年目の新学部に入り、中途採用で固められた外資系企業につとめ、20代後半で起業して役員なんてものになった僕にとって、人生の師匠と言えるような存在はいないのだけれど、そんな中で、ずっと先をいく兄貴的な立場で、背中を見せてくれていたのが信國さんだった。
そんなにベタベタに親しかった訳でなく、数年に1回くらいの周期で、会って集中的に話をして、またしばらく会わなくなる、そんな関係だった。その度に受ける影響が大きく、僕の方がそんなに継続的に会う体力を有していなかったのだと思うし、発言した内容を実行するのにそれなりに時間を要する類いのものを引き出されてしまうのが理由だったのだと思う。自分の思考をぶつけて、自分の存在を確認する、消化に悪いごちそうのような時間だった。
そう、人生における最高のごちそうだった。
昨年、会社のビジョンを固めるために数回にわたるセッションにつき合ってもらい、あえて言葉に落とさない(落としすぎない)という結論にいたるまでのプロセスは、実に贅沢な時間だった。
夕方から信國さんのお宅にお邪魔して、話をして、(おいしい「なだ万」の)お弁当を食べて、酒を飲んで、深夜まで議論しつづけるという繰り返しは、起業から4年を経過してややバランスを崩し始めていた僕をリバランスしてくれた。
一連のセッションの終わりに、「また、壁打の相手(壁)にならいつでもなってやるよ」という言葉に、どれだけ励まされたことか。
そして、「橘川さんに会っているか?」「(俺もお前も)甘えられる人なんてそういないんだから、甘えられるうちに甘えておけよ、後悔するぞ」と言われた事が、妙に気になっていたのだけれど、まさかこんな形で後悔をすることになるとは思いもしなかった。
もう甘えさせてくれないのは、自分じゃん!ひどいよ。
訃報を聞いて、呆然としながら、信國さんとやり取りしたメールを漁っていて、泣きそうになった。
僕は草野くんに対しては、いつも安心してみていられるんだよね。
かつて一度も「大丈夫かな」と不安にさせられたことがない。
絶対的な安心感があります。ある意味、自分より安心できる(笑)。■■■■さんや◎◎◎◎さんにも、同じ安心感があるんだけどね。
それは、草野くんが時代意識を深呼吸しているからだと思います。
吸い込んで、吐き出して、吐き出したときにちゃんと「ゼロクリア」し
ている。だから、吸い込むときに、時代意識を吸い込めている。
だから、ちゃんと実現すると思います。
続きは明日お話しましょうね。
こんなに当たり前に優しく書かれている「明日」が、こんなに早く来なくなるなんて思ってもいなかった。
信國さん、本当に早すぎるよ。
(深呼吸して、ゼロクリアして)
信國さん、この(未練たらたらの)手前勝手な文章が、
最後の甘えです。許してください。
信國さんが引き受けようとした仕事なんて、(橘川さんと違って)僕の手には余るのでようやりませんが、僕自身が問題と認識した問題からは、命の限り、逃げずに闘う事は誓います。
信國さんは、そちら側で新しいテーマに取り組んでいてください。
僕がそちら側のテーマに取りかかれるようになるのは、随分と先になる予定なので、こちら側での経験をたくさん仕込んで、次回の壁打に望むつもりですから、そちら側で適当においしい店なんかも見つけておいてください。
「な、結構イケるだろ、ここ」
「はい、イケますね」
なんていいながら、酒を酌み交わして、また話をしましょう。
信國さん。
あなたに「お前は大丈夫だよ」と言われた事は、大きな自信と支えになりました。
これからもその言葉を信じていきます。
ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
ご冥福を心からお祈りします。
ーーーーーー
橘川さんの追悼文 一週間の日記・追悼・信國乾一郎
ネットで見つけた追悼文 同期の信國乾一郎君の訃報
markさんの追悼文 ISIZEがやりたくてリクルートに入った
コメント