前にも簡単に紹介しようとして、手元に書籍がなかったので改めて・・・
この本自体は、子供を集めてフラーがその思想を講義した内容をまとめたものです。そこはそこで、凄く面白いのですが、僕が繰り返し読むのは、「PART2 フラーを理解するために」という章です。アマゾンでUSEDでは買えるようですが、絶版ぽいので少し詳細に僕が感銘を受けた部分をまとめます。
32歳の失意のフラーは、1927年に自殺しようとミシガン湖畔に佇んでいて最後の思考に入ったそうです。そこで起こった意識のブレイクスルーから、「宇宙船地球号」という概念の発明者として、あるいは現代のダヴィンチとして知られるバッキー(フラーのこと)のその後の思想家、幾何学者、発明家、詩人、建築家等々としての活躍がはじまることになります。
すべてがひとつの考えからはじまった。「これがおまえの心を使う最後の時。だから、うまく使うんだ。自分自身で考えろーおまえがほんとうに考えたことだけに目を向けるんだ」
それはこの上なく貴重な瞬間だった。時間が消えて、突然本質が顔を出す。澄みきった思考の流れが注ぎこみ、他のすべての考えを一掃する。かつてなかった明晰さ。魂が釘付けにされる瞬間だ。突然バッキーは、彼の苦痛のほとんどが、自分自身ではそう感じたり直観したりしていないのに、ただ他人が信じろと言うことを信じようとしたことから生まれてきたものであることを理解した。
苦しみの多くは、利己的な行為からも生じていた。他の人々のことではなく、自分のことだけを考えたとき、あるいは「自分の取り分はどれなんだ」といった態度で人生を生きたとき、苦しみはやってくる。利己的な行為こそ苦悩の源なのだという思いが、なにか深い、直観的なところから沸きあがってきた。なんで自分の考えを変えないのか?彼は自分のことをふりかえって、そう考えた。
「人生を違ったふうに見てみたらどうだろう?これ以後、”自分”のためには生きず、私の人生と経験を他人のためだけに使ってみたらどうだろう。
私は考えた。われわれは誰なんだ?生きるとはどういうことなんだ?
そして私は気づいた。私たちは一人一人はかけがえのない経験の目録なんだ。そして私は、他の人たちが私と同じようにやって傷つくことがないように、自分の経験を使うことができる。わたしが感じたような苦しみを他人がかんじないですむように、彼らを助けることができるんだ」
もしも苦痛というものが、他人から徐々に埋め込まれた誤った信念にもとづく行為からうまれてくるものなら、今、彼が信じるべきことはなんなのか?いったいなにを信じればいいのか?いや、信じるべきではないのなら、どうすればいいのだろうか?
バッキーは科学に糸口を見つけた。そこには真実へ至るための厳密な方法がある。彼は科学的方法を道具として、それを自分の人生に適用したのだった。もう根拠のない信念など、すべて機能しなくなった。「信念」など、非科学的なできあいの盲信にすぎず、リアリティの顔を曇らせてしまう。決定的な証拠がないような経験の領域では、誠実で細心な科学者でいよう。
そして、究極的な理解に行きついた。つねに存在する愛についての理解だ。ここに、愛に、バッキーは人智を超えて作用する力の証拠を見たのだった。「その瞬間、愛についてほんとうにたくさんのことを考えた。我々が”愛”と呼んでいる現象は、もうほんとうに驚くべきことなんだ。石は石を愛さない。ところが人間は、愛を当然のことと思っている。子供のことを考えたよ。子供のときの方が愛をすごく感じるもんだ。それは絶対的に重さがない、驚くべき現象なんだ
だから私は、私たちの理解を超えて作用するなにかがあると知ったわけだ」
突然バッキーは、自分が失ったものはなにもなかったことに気がついた。自分の人生経験で、他人のために使えないものはなにもない。機械工としての日々は、目には見えないが、人間の必要を満たすために使える、驚くべき力の領域が存在することを教えてくれた。海軍での日々は、分けては考えられぬ全体として、つまり全人類が乗客として運命を共にする「宇宙船地球号」として、世界を見ることを教えてくれた。ビジネス上の失敗も、商業的、政治的支配の限界を、彼に教えてくれるものだった。自殺しようとする現場で、こんなに冷静に考え事が出来ている時点で、普通の自殺希望者(?)でなかったことは明らかなのですが、「自分自身が正しいと根拠をもって思えるものだけを信じて人生を生きる」という発想の転換が、その後の活躍とセットで考えたときに非常に本質的なものを突きつけられた感じがして、読んでいて印象的でした。
このとき、バックミンスター・フラーの人生から良い、悪いという評価が消えた。楽しいこともあれば悲しいこともある。しかしそれは経験の宝庫であり、どれも宇宙船地球号に乗り合わせた仲間の乗客たちの利益のために使いうるものだった。
「私がなぜここにいるのかはわからない。けれども、人類からこの私という特別の経験目録を勝手にとりのぞいてもかまわない、などと言うことはできない。そうなのだと、私は自分に言いきかせた。私たちは他人を助けるために生まれてきたこと、そして各人は全人類と関係していることもわかった。大いなるデザインの一部として自分自身を見てみれば、私の経験を全人類のために役立たせることができる。しかし、身を投げてしまえば、そんなことはできなくなると思った」
それと、科学に依拠して、世界を組み立てようと考えた際に、同時に「愛」について思いを馳せて偉大なものと認識していることが非常に興味深かったです。
正直、僕には「愛」というものがよく分からないもので。
そんな人間失格な僕でも、非常に楽しめた本でしたので、お時間がある際にどうぞ。
PS この本もN國兄貴の紹介です。最近、N國兄貴から頂いているもの棚卸ししている感じですね(笑)
コメントにて失礼します。現在、美術系大学デザイン学部にて、バックミンスターフラー博士のシステムを参考に、ソーシャルデザインを研究しております。高校時代に読んだ『宇宙船地球号操縦マニュアル』がきっかけとなり、サステナブルデザインを勉強するため、上京しました。現在学部の4年で、就職という選択肢はなかったのですが、久しぶりにフラー博士の事を検索していたら、『a monkey between 0 and 1』にたどり着きました、管理者様の記事を他にも拝見させていただいたのですが、感銘を受け、感性の原点を感じ、即エントリーさせていただきました。管理者様の会社では、新卒採用はもう終了してしまったのでしょうか、もしまだ募集しているようでしたら、よろしくお願いします。
いきなり社長様に直談判という無礼極まりない行為ですが、お許しください。
投稿情報: 東京造形大学デザイン学部サステナブルプロジェクト専攻 | 2013年7 月12日 (金) 00:20
失礼致しました、東京造形大学デザイン学部サステナブルプロジェクト専攻
石原 佑
[email protected]
投稿情報: ishiharayu | 2013年7 月12日 (金) 00:28